SICF11

 ひさしぶりのブログ。
 こんにちは。ご無沙汰ですが元気にやっていますよ。

 さてさて、珍しくずっと快晴続きだった2010年GW最後の日。
青山スパイラルでやってたSICF11というアートイベントに行ってまいりました。

SICF(スパイラル・インディペンデント・クリエーターズ・フェスティバル)は、
スパイラルが次代のカルチャーを担う若手クリエーターの発掘と支援を目的に
2000年にスタートしました…(くわしくはこちらのサイトを。)

 というわけで、様々なジャンルの方々が、小さなブースの中で思い思いの自由な創作を展示しておりまして。これがなかなか興味深い。
 日々悶々と企画地獄にさいなまれる中で、「お題」とか「答え」を追求しがちな広告業務。もちろんそれが仕事なんだけれども、こうして個人の意志の赴くままに、好きなこと、表現したいことをこつこつ地道な作業の果てに生み出された作品のシャワーを浴びるにつけ、いいインスピレーションをたくさんいただいたのでした。

 でも、ほんと、面白かったのは、
普通アート作品ともなると、鑑賞者は作品を前にしてただひたすら五感を研ぎ澄まし、感じるがままにその作品を受け止めていくのが常なのだけど、このイベントには、作者がそばにいて「この作品はですねー…」と意図や創作プロセスを丁寧に語ってくれるのです。
 いい意味では、もっとも的確なキュレーターのいるアート展、悪い意味では、すぐに種明かしをされてしまうインスタントな手品のようで、なんだかゆるゆるな気分に。

 でも、ちょうどよかったかも。

 今年に入ってから尋常な忙しさで肉体的にも精神的にも休む間もなく日々が流れ(いつもか)、奇跡的にゲットしたGWの5連休。カラダとココロの休息がおもな休みの過ごし方となり。答えのない創作物と正面から向き合うまでの感性の体力が戻ってなかった。だから、適度に解説のある種明かしつきアートは自分のコンディション的にはちょうどよかった。

 ただ、やはり、どうしても、作品の意図を聞くのは失礼な気がしたので、作品の創作プロセスだけを聞いて回った。
 「作業時間」「発想の起点」「モチーフやコラージュのリファレンス」「最初からゴールイメージってあるの?」「途中で変更したりとか?」などなど、美大生を目指す高校生のような素人質問をあえて連発してきた(笑)。
 でも、みなさんこころよく答えてくれて。これがまたみんな興味深くて大変参考になった。

 んで、お目当ては友達のあっこちゃんのドレスの展示で、それはそれはすばらしい出来。手裏剣の形を素材にしているアイデアも、なかなか男の子ぽい(笑)、けど、それでいて繊細なドレスになってました。

 あと、とても興味深かったのはアート展なのに「企画展示」で採用された久保伸太郎さん。フリーターながら、なかなか面白いアイデアを持っていて、しかも思いつくだけでなく、ちゃんと実行に移しているところがすばらしい。

 展示されたアイデアは、こちら
 なんとなく僕ら広告屋に近い発想の企画。日常の中に、ささやかだけど微笑ましい「さざ波」を起こすこと。ちょっとした驚きや注目を一瞬だけ集める活動。そんなところ。
 感心したというとエラそうで申し訳ないんだけど、でも、フラットな意味で、ほんと感心した。ありきたりの日常をただなんとなくすごすのでなく、日常の間にある際とか、日常の裏とか、奥とか、ちょっと視点を外したり想像力・妄想力をかき立てることでうまれるささやかな物語や、新しい現実。
 そこにあるアイデアこそ、ひとの注目と共感を同時に引き起こすコンテンツとしての力をもっていて彼はそれを実践していた。彼のブログ「ろくすっぽ現代」にもなかなかかわいらしいショートストーリーやエッセイがちりばめられていて、読んでいて楽しい。

うーん。
反省。自分は、日常に追われすぎ。。。

とかなんとかGW最終日。まっぴるまっから表参道でビールなども飲み。最高の一日でした。
明日から怒濤の日常がやってくる。

| 鑑賞系 | 22:29 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |

2010年

 おっと。ことしは年初のエントリーしわすれた。

あけましておめでとうございます。
誰ともなく、今年もお世話になりますのでよろしくお願いします。


なんだかんだで、転職して4年たとうとしているわけだが、個人的な3カ年計画から1年押しですすんでおります。押した分、回り道をしているのだけど、急がば回れ。結果、よい出会いと、よい経験があり、総じて順調です。公私ともに。

「今年は最悪だったー!」とか、そういうひどい思いをこれまでしてこなかったような気がする。ひとえに、中の上くらいのポジションに安寧していると、可もなく不可もない人生になりがちで、それはそれで飽きも来る。

振り返ってみれば、本当に、真摯に、前へ前へ突進していた時期もあり、そうすると敵もふえ、人間関係のひずみも置き、ストレスフルな毎日にはなるけれど、その先に大きな収穫があったりするもので、ハイリスク&ハイリターンであると。

自分を成長するためには、常に10の現状をもって、20のポテンシャルで自分を武装し、大きくみせ、実力以上の成果や結果を求めていく。その繰り返し。

そういう意味で、去年は、あまりチャレンジがなかったようにも思える。いろいろやってはみたものの。

今年は、ちょっとだけ、ずずいと、厚かましく、前へ出て行こうかなと思います。

で、去年に引き続き、ギョーカイの気になるトピックス。


敢えてBeeTVとNHKオンデマンド。

去年はさんざん地上波をやってきて、変化の著しいテレビメディアビジネスの最前線の中でなかなかよいソリューションができたとおもうのだが、一方でテレビのポテンシャルと限界両方が見えてきた。限界とは、テレビそのものではなく、広告会社における組織としての限界であって、テレビ全般で見れば、まだ、大いに可能性はあるし、今年も進化は続くであろうと思う。

そんななか、twitterやセカイカメラもいいけれど、去年のコンテンツ業界で最もインパクトのあったのはBeeTVと、NHKオンデマンド。

BeeTVは、すごい。なにがすごいかって、すでに80万人以上の会員がいるというのに、まわりに使っている人を見たことがない(笑)。

ただ、飯島直子のドラマやら東方神起のドキュメンタリー番組やらのうわさは耳にする。つまりコンテンツが先行している。


ちなみに、BeeTVを牽引しているのは、ドラマコンテンツよりかは、先の東方神起やらエイベックス所属のアーチストのビデオコンテンツの役割が大きい。

ファンマーケティング。

商品=ここでは、アーチストとの絆を深めて派生商品をひろく展開し、顧客単価を上げていく。顧客単価を上げた上で収益を1社できっちし確保する。


NHKオンデマンドもすごい。

っつても会員数は有料で18000人程度だと言うし、ieでしか見られないデバイスの問題や、そもそもの制度的・技術的問題も山積である。


ただ、ここにきて、紅白や龍馬伝の配信を始め、コンテンツの質・量が充実しつつある。
結局は、コンテンツである。BeeTVがテレビの制作スタッフを使って地上波でも流しうるレベルのコンテンツをそれ得たことが勝因のひとつであったように、NHKもその良質な番組コンテンツや派生コンテンツの展開ができれば十分キャズムを超えようかと。


つまり、(特定の生活者に向けた)良質なコンテンツであれば、もはやデバイスは問わないことが、ここにきて、やっとこさ、証明されたといってよい。もちろん、T視聴率10%以上のTV番組の 暴力的な露出スケールに比べれば、規模感はまだゴミみたいなもんだが、それでもコンテンツビジネスとしては十分成立しうる。

要は、テレビがでかすぎるのである。テレビのニーズがなくなることはないが、それほどデカイ規模の認知を求められるマーケティングは確実に少なくなっているし、元々コンテンツビジネスは、必ずしもテレビ規模を必要としなかった。

一方で、(昔放通融合とか言われていた時代に夢想されていた)、ニッチメディアのコンテンツが地上派にビジネスとして流通することもあり得る。
BeeTVの飯島直子ドラマが先日地上波向けに再編集されて放送されたようなこと。もちろんデバイスにあったコンテンツの態様をそなえるため、ケータイからテレビにそのまま流すのは難しいが。
いずれにせよ、ケータイやPCでのコンテンツ配信を起点にクロスメディア・マルチデバイスで展開し、販路を広げる。さらにファンマーケティング的視点でコアなユーザーを獲得した上で顧客単価の拡大に努める。
そういうコンテンツマーケティングがようやく兆しをみせはじめた。



というわけで、今年もBeeTVないし、他キャリアを含めたBeeTV的なモノに注目。


おっとっと。全然広告とかんけーない?

そうそう、最近は、ことに「広告」に対する興味が薄れつつある。
今年のネット広告がどうとか、ツイッターが世界を変える?とか、どうなるスポット広告料金の下落?とか、現状の「広告」というものだけをみていると、どうもスケールというか、自分の視野を狭めてしまう感じがして、個人的には食傷気味。

といいつつ、広告の仕事をするんだけども(笑)。

今年は、今年も、広告orNOT広告にかかわらず、いろいろコンテンツを創っていこうと思うのである。

そんな年初のエントリー。
| いろいろ思うこと | 12:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

今年もお世話になりました。

 今年最後の忘年会を終えてほろよい気分でこのエントリー。

いやはや、今年も働きました。
働く中で、今年もまたたくさんの出会いがあり、たくさんの縁を感じ、変化の時代の中でもんもんと進んではくじけ、進んでは達成感を得る、そんないつもとかわらぬ1年でした。

来年の抱負は、来年にするとして、今年感じたトピックス。


☆効率化するTVCM☆

GREEがテレビCMに打って出て、その後も継続しているように、今年の広範囲かけて、いわゆるIT企業のCM出稿が目立ってきた。
より効率を重視する企業が、CMを活用するということはつまり、いうまでもなくTVCMは効率的であるということ。もちろん不況に伴うスポット単価の減少といった部分もあるが、ある意味でネット(企業)とマス(広告)の融合が始まったのが2009年のエポックな出来事。


☆効率化するTVCMクリエイティブ☆

そうした背景の中、CMのクリエイティブはどうか。
ACCを受賞したり、好感度調査で上位に上がるクリエイティブと、その商品のマーケティングと、その世の中の動きと、これまでもあった微妙なズレが、より顕著に感じた。(個人的にはね)
クリエイティブの現場にいるなかで、「よいクリエイティブって、なんなのさ」という疑問にぶち当たることが多かった。
いま、大活躍しているCMプランナーの秀逸なクリエイティブを否定はしない。ただ、クリエイティブだけでマーケティングやコミュニケーションが解決できることは間違いなく少なくなっているし、もっと言えば、そういうクリエイティブだけを求められる仕事も少なくなることは明らか。
いわゆる人を感動させるクリエイティブもやったし、レスポンスだけを目的にする広告もつくってきたが、そんななかで、広告会社のクリエイティブディレクターって、あるいは自分って、どこに進むべきかを考えさせられた1年。

☆WEBキャンペーンの過渡期?☆

今年は、話題になるWEBキャンペーンや、WEBサイトのクリエイティブが少なかったような気がする。それは、自分がキャッチアップしていないだけかもしれないが。
ただ、去年までのユニクロやらAXEやら、あるいはインタラクティブエージェンシーのひとたちやWEBプロダクションのクレデンをみても。「これは!」と感じるモノがないし、周囲でも「これいいねー!」という声を聴かない。インタラクティブクリエイティブのレベルや精度は確実に進化しているが、もう、WEBクリエイティブそのものに新規性はなく、むしろ、mixi年賀状や、ポケモンのように「WEBサービス」にクリエイティブティを求める方向にシフトしているのでは?と感じた1年。

☆テレビ番組の広告コンテンツ化☆

TBS系「ルーキーズ」が顕著だが、テレビ番組や映画でのタイアップが多くなってきた。ここではいえないが、ギョーカイ的にも様々な番組で、「仕込み」と言われる企業・商品タイアップの番組コンテンツが増えてきた。それは、表から表明しているタイアップもあれば、情報番組やバラエティ番組の中で企画ごとプレースメントされて、それがタイアップなのかテレビサイドの意向なのか、ギョーカイのひとでもわかりにくいコンテンツや番組企画がめだってきた。
視聴者にとっても広告だか広告でないかは、わかりにくくなる危険性と、そもそも「広告でも、そうでなくても、おもしろければいい」という本質とのせめぎ合いを感じた1年。

☆ARとかデジタルサイネージとか☆

たいしたトピックスじゃないけど(笑)。ARを使ったクリエイティブが多くなってきた。インタラクティブクリエイティブの延長で、オフラインの場で展開されることで、デジタルサイネージの1つのジャンルにまでなりそうだ。ビジネス的にどうなるかは、とても悲観的な状況だけど、クリエイティブのおもしろさ、ポテンシャルは大いに感じられる。2009年は、日本にとってのAR元年なきがする。



そんなとこかなー。あと、個人的には、

☆twitterやることで、ブログ脳が小さくなった☆
自分でもよくわからんのだが、twttierは楽でいい。
ブログは、たくさん描きたかったけど、そのぶん、長続きしなかった。才能無いなーと。

☆ケータイドラマ☆
ことし一番印象深い仕事はケータイドラマやったこと。
地上波、WEB,モバイルに限らず、ドラマコンテンツはこれからもやってきたいし、自分の軸はここにあるなあと思った。

☆訃報に泣いた☆
忌野清志郎で泣いて、年末にフジファブリックの志村くんで泣いた。哀しい1年だった。


そんなこんなで今年も暮れます。

みなさん、本当にありがとう。
来年もまた、おもろいこと仕掛けていきますので、どうかおつきあいください。

| つぶやき | 02:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

Life style Forum2009

なんだか今日は、朝から雨あり風あり、昼過ぎて日が差したかと思ったら、1時間後にはどんより曇り空。湿度も高くて、なんだか不思議な気候の日でした。



さて、そんななか相方が参加しているライフスタイルフォーラムへ。

このイベントは、「地球と共生するくらしかた」をテーマにした、社会事業を行う各種団体のPRイベントで、展示や販売、トークライブなどをやっています。

いわゆる「エコ系」の活動を始め、医療や社会的弱者の支援など広範なジャンルの団体が参加していていろいろ勉強になります。

明日は、天気もいいようなので、紅葉にあふれた新宿御苑に散歩がてらぜひ行ってみてください。
ついでに相方のいる「ゆるり」というカフェでコーヒーでも飲んでやてください(笑)。


今日は、以前ゴルフを教えていただいた長島正興さんが出演するトークライブをみてきました。
彼はレーシングドライバーとして活動する傍ら、その車と環境問題との関係に向き合って、エコドライブという、クルマで生活する人々のための二酸化炭素排出抑制方法や知恵やノウハウを紹介する活動をしています。
トークショーでは、「F1をはじめとするモータースポートの世界では、いかに速く効率的に走るかという目標に向かって様々な技術者の知恵と技術が注ぎ込まれ、そして短期間のうちにめざましい進歩をとげていく過程を目の当たりにしてきた。そのすばらしい技術力が、いま、クルマ環境性という課題にむけられてることで将来の二酸化炭素排出量抑制にむけた大きな力になってくれるはず。」といった趣旨の話をされていました。


エコの話を始めると、どうも、二酸化酸素の排出量を「抑制」するとか、「消費しすぎないという意味での節約」とか、ネガティブチェック的な、ようは「めんどくさいものだけど、しなければいけないこと」とう文脈になってしまうことが多い。その議論になると、やれ現実性だとか、活動自体の自己矛盾をつっこまれたりして不毛な議論に陥ってしまうことも多い。
実際、そういう側面もあるけれど、環境をめぐる問題に対して、ただ我慢とか忍耐を要求することだけが答えではないと思う。環境活動をしている人だって、べつに現代の文明を否定しているわけではないし。そうではなくて、いまの文明の恩恵をうけながらも、「生き方」として地球と共生する生活を可能とするかという問題なのだと思う。長島さんのようなドライバーが環境問題を語るというのが、その象徴のように思う。

ライフスタイルの提案は、たぶん「なにを幸せとするか」ということに直結する。
大量生産大量消費が飽和して、バブル経済が崩壊してすでに20年以上が経つ日本。それまで、消費することで実感されてきた「幸せの基準」も崩壊し、人々が、ひとりひとりの生き甲斐を模索する時代になった。「こうすれば幸せ」なんて明確なイデオロギーはもはや存在しない。ただ人々は、せめてその「道しるべ」だけでも提示してほしいと願うこともある。

そういう意味で「地球と共生するくらし」というのは、その1つのテーゼであるとおもう。
このイベントも、環境問題や社会問題を議論するのではなく、あくまで「ライフスタイル」を議論するという主題にその想いが表れているような気がする。

環境問題の解決が無理か無理でないか、はよく分からないけれど、すくなくとも「地球と共生する暮らし」は、人々を幸せにすると思えるし、自分もそんなくらしができたら幸せな人生だと思う。

そんなことを考えさせられた週末。
| 週末日記 | 22:13 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |

いるもの。いらないもの。

税金の無駄遣いを減らす。
しがらみや惰性で続いている事業や、効率の悪い受発注をしている事業も少なくない。
そうした観点で行政の事業を見直す行政刷新会議の「事業振り分け」。
近親者に当事者がいるので注目して行方を見守っている。

しかし、難しい作業だなぁと思う。
何が無駄で、何が無駄でないか?

企業活動における事業であればある程度判別をしやすい。
売れているかどうか。収益性や事業の成長性といった、マーケティング視点でのリクツと基準の中で、事業の「採算性」を見極めればよい。

行政が行っているのはそうしたマーケティング活動ではない。
国益という抽象的な目標に向かって取り組む活動であり、それは、目標設定がわかりやすい経済活動に直結するものではない。

そういう意味で、いま行政がやっていることに、意味があるか?意義があるか?っていったら、そりゃ、意義も意味も多かれ少なかれあるとおもう。
だから、意味論や意義論の軸で仕分けをすることは難しい。

では、その事業の波及効果や、利益を受ける国民の数といった、なんらかの数値的目標設定をすればいいかというと、これまた困難である。
数値目標を設定すれば、当然大きな反響や、沢山の国民に影響する者が優先されてしまい、少数の人が抱えている重要な問題解決の優先度が下がってしまう。
これまた行政にはあるまじきことである。

とはいえ、企業活動においても、福利厚生やCSRといった、直接的にはマーケティングに影響しない事業についても予算を取って、毎年見直しているわけであり、業績に応じて身の丈にあった規模を毎年設定している。
もちろん際限なく縮小されるわけではなく、企業年金だとか、休暇制度など、労使関係の中で最低限保証されるべきことがらについてはちゃんと予算を確保し、その予算が確保できないくらいに業績が悪くなっていれば、それは倒産を意味する。

そういう意味で、いまの日本にとっての「身の丈」ということをまずは考えるべきかもしれない。国益があるからといってむやみやたらに国債を発行してまで遂行するのは、おそらく過剰であり、身の丈には合っていない。

もちろんやった方がいい事業はたくさんあるが、今の税収に合わせて優先順位をつけていくほかはないのである。そのことで不便や不利益を受けている人がいたとしても。

そう考えると、事業自体の是非よりも、刷新すべきは事業の効率性だったり、不当な取引による余分な人件費といったプロセスやコストのマネジメントであり、その視点に注力して欲しいものである。

有意義な事業に1億円かけていたとして、そのうちの半分が、ほとんど会社に来ない天下りの理事の報酬になっているようなものもきっと沢山あるだろうし、そういうプロセスを改善するだけでも相当なコストカットになるはずだ。

天下り先であるとか、曰く付きの独立行政法人であるという理由だけで、やっている事業が「無駄」だとは思わない。意義ある事業のために、そうした組織の中でも大志を持って頑張って働いている職員がいるのも事実だし。

何が無駄なのか?判別するのは本当にむずかしいけれど、
そこにある「無駄の本質」を見極めた上で査定をしていって欲しいものである。


| いろいろ思うこと | 16:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

コンテンツクリエイティブディレクターについて5

この、コンテンツクリエイティブディレクターという仕事。
いままで書いてきたように結局は、「コンテンツプロデュース」という領域に掛かる部分が大きい。

それはつまり、メディアやコンテンツホルダーとのコラボによりブランデッドコンテンツを開発するというクリエイティブワーク。これについては、他の職種とは異なる専門性やクリエイティブセンスが求められるので。

で、どんな人がやっているかというと、元々広告会社の中でメディアに軸足を置いた業務をこなしてきた人たちが多い。(といっても僕のチームのまわりにしかこの職種はいないので、ものすごく客観性には欠けるんだけど)。

僕のまわりの人材で見ると、主なキャリアは、ラジオ&エンタテイメントコンテンツ出身(2)、新聞出身(1)、インタラクティブ出身(2)、営業出身(2)。という具合である。

面白いのは、「売れないメディア」を扱ってきた人間が多いこと。ラジオや、規模の小さい新聞などでは、リーチの面で単純な「枠売り」が難しい。そこで、あの手この手をつかって、「コンテンツ化」や「クロスメディア」といった視点でタイアップ企画を立案し、実際に売ってきた。
コンテンツクリエイティブは、タイアップとは厳密には違うのだけども、「メディアの特性やポテンシャルをそのままに、コンテンツや表現に昇華させる」という意味では、企画のより所は一緒なので、そうした経験が現業に活かされているように思う。

インタラクティブ出身は、もちろん、ハナから「枠」という発想がないし、新しいことにどん欲である姿勢がインターネットを超えて多メディアに拡張していく感じ。

面白いのはCMプランナーやコピーライターなどのいわゆる制作出身がいないこと。
いちおう、若手スタッフがいるが、やはり、相当苦労しているなぁ。
でもいずれは、メディアを駆使できるプロデューサー気質の人材も出てくるだろう。

そもそも、コンテンツクリエイティブ発想で現業のクリエイティブディレクションを行っている人は結構いる。groundの高松氏や風とロックの箭内氏などは、発想の起点はコンテンツクリエイティブに近い。

結局、これまで広告やコミュニケーションの企画・クリエイティブの総責任者たるクリエイティブディレクターなるひとは、CMプランナーやコピーラーター、アートディレクターといった専門職出身の人のステップアップとして位置づけられていたもの、そのキャリアパスに無理が出てきたということなんだとおもう。
つまり、今までは、CMが広告の全てだったけど、いま、本当の意味で広告の全てを網羅できる専門職は存在しないのである。

で、ここ5年くらいでインタラクティブの領域でのクリエイティブが注目されるようになり、インタラクティブを出自としたクリエイティブディレクターがでてくるようになった。

次は、メディアである。
広告業界のクリエイティブにおける人材ポジションの3本目の柱として、「コンテンツプロデュース」の領域が台頭しなくてはならない。

みんな、メディアニュートラルとか、スルーザラインとか言うけれども、そういうことを標榜するひとに限って「ビジネス的に実現不可能なアイデア」を企画しちゃったり、逆に「広告フレームに限定された発想」しかしない人もいる。

例えば、いくらメディアを駆使するからといって、「特定の家電を紹介する1時間番組をつくろう」なんて、ビジネス的にもできないし、逆に、テレビで話題化しようといっておきながら「ワイドショーの芸能ネタで紹介されることがすべて」だと思ったりしている。

広告コミュニケーションにおいてメディアでできることは沢山ある。ただ、それを企画するためには、広告ビジネスやメディアビジネスを知らなければ実現可能な企画を作れないし、そのメディアの特性やポテンシャルを知らなければ最適なマッチング、win-winのコラボができない。

そういう意味で、「コンテンツプロデュース」という専門領域の重要性は増してくる。そして、広告全体のクリエイティブ責任者にもなりうる。

たかだかメディアの担当者に広告全部をまかせられるかよ、と思う人もいるかもしれないが。

でも、最近つくづく思うのは、逆に広告制作の担当者は、最も生活者と遠いところにいる気がしてならない。昔はCM一発で人が動いた。いまは、魅力的なCMに加え、他のメディアを含めたコミュニケーションの設計とセットでないと人は動かない。しかし、たいていの場合、CMを作る人とコミュニケーションを作る人は別の人である。だから、自分一人の仕事で、「人が動いた」ということを実感できる機会が少ないのである。

一方、メディアの人間はどうか。
メディアの人間は、人を動かさなければ仕事を失うのである。常に視聴率や部数や観客動員数などの数字で結果がみれるし、それが業績に大きく変動する。

唯我独尊的になりがちな広告制作者に対し、メディアのプロデューサーたちは極めて謙虚である。常に世の中の動向にセンシティブで、どんなネタが人を惹きつけるかについてどん欲に研究している。

同じく人を動かそうとする広告制作者にとって、彼らと組まない手はないのである。

実際、放送作家や編集者といったメディア側の人材が、広告の仕事を行うようになってきている事情もある。それは、メディアビジネスの不況という現状があるからこそであるが、ただ、広告の視点から見ると非常に重要な人材交流である。彼らの発想こそメディアニュートラルであり、生活者のインサイトをしっかり捕らえたプランを出してくる。しかし、そのアイデアのままでは広告として成立しないことが多いので、そこを広告制作のプロがチューニングしていく。

既存のクリエイティブディレクターを否定するわけではない。ただ、多様化するコミュニケーションにおいて、
・純広告のクリエイティブのプロ
・インタラクティブ・コミュニケーションデザインのプロ
そして、
・メディア・コンテンツプロデュースのプロ
この3つの軸が台頭して始めて、今後の広告における総合的なソリューションを実現できるようになると思うし、そうしなければならないだろう。



というわけで、長々語ってきたが、結局、コンテンツクリエイティブディレクターというのは、

広告主のコミュニケーション課題に対して、
メディアやコンテンツホルダーとのコラボで開発するブランデッドコンテンツを中心に解決しようとする「コンテンツプロデュース」に軸足を置きながら、
広告コミュニケーション全体を統括できるクリエイティブディレクターのこと。

ということになるだろう。


で、実は、仕事はそれだけではない。

いままでは、あくまでも広告主の課題解決という視点での職域の話であったが、それとは別に投資や出資を前提としたメディア開発・コンテンツ開発といった「事業をプロデュースする」というミッションをになっているのである。

あーめんどくさい職種である。

そっちの話は、また来年くらいに。。



| コンテンツクリエイティブ | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

大道芸ワールドカップin静岡

今年も行ってきました。大道芸ワールドカップin静岡。

毎年、日本各地、さらに世界中から選りすぐりの大道芸人を招致して世界一を決めるこの大会。もはや18年目だそうです。
フジロックと同じくshimazoffの恒例行事です。毎年ドライブがてらクルマを利用するんだけど、昨今の渋滞事情をふまえ、今年は初めて新幹線で。東京から1時間弱なので日帰りだったら断然電車の方が快適であることに気づく。

ことしも盛況でした。会場の様子はオフィシャルサイトのこちらでみることができます。

朝早くに出かけて、最初は晴天だったんだけど、夕方になってぽつぽつ雨が…。夜には豪雨となりました。もちろん大道芸は露天なので、あらかたのパフォーマンスは中止。ただ、プレミアムナイトショーという有料のステージは、屋根があるため実施されました。とはいえ、屋根はステージだけで客席は雨合羽でぶるぶる体を震わせながらの鑑賞。雨はフジロックでなれたもんですが、まさか静岡でずぶ濡れになるとは思いもよらず…。




会場となる静岡はなんてこたない普通の地方都市だけどこの大会が開かれている期間は、町中に大道芸人があふれ、地元の住民やもちろん僕らのような県外からの来場者も大勢集まり、賑やかで楽しい空間に一変するわけです。
18年も続いているからして、静岡市にとっても重要で意義深い大会として根付いているのでしょう。
大道芸人にスペースを公開して、町の活性化というか、リアルなパフォーミングアートによる暖かみのある人とのふれあいを作り出すことで、町の空気というか色を生み出している。

伝統を守ることだけが都市の生き残る道ではなく、むしろ100年後に伝統といわれるような芸術文化を今から生み出していく発想。これからの都市は、これまでのような一辺倒で画一化された都市計画ではなく、芸術や文化を起点として住民を巻き込んだ上での都市のカラーを出していく。経済も、都市の中でのサイクルを中心に据えながらも、市外県外の人たちとの交流による経済の活性化とか、いずれにせよ地方都市単位での、文化・社会・政治・経済のサイクルを生み出していくことが重要なんだと思う。
夕張市が破綻して多くの人が再建のためのアイデアを出す中で、そのアイデアの中心になるのはやはり文化事業。自分の地元が、経済的に、精神的にも生き残っていく上で、そうした、これからの文化を創造し、都市のオリジナリティのある色を生み出していく活動はとても魅力的に感じます。

ちなみに僕の地元は浦和ですが、浦和はなんといってもサッカーの街。
自分たちの子供が成長する頃には、そんな色のある都市がたくさん生まれていくとよいなと思うわけであります。
| 週末日記 | 13:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

久しぶりの大学

 昨日、大学OB会からみの縁があって、母校の広告ゼミに登壇してきました。
もともとは別の方にオファーがあったんだけど、1時間30分もの長時間で間が持たない(笑)ということで、2人のパネルディスカッション風授業にすることに。

相手は大学2−3年生が十数人の小さい教室だったので、結果、学生と対話しながらの楽しい会にできたので、よかったです。

大学に行くのがほぼ卒業以来ということで、懐かしいやら、知らない建物が増えているやらで、ここはどこじゃ>(´ム` )的浦島太郎状態。。10数年前に自分がそこに通っていたかと思うと、ちょっと不思議な気分です。
もともと学校に行っていたタイプではないので、そんなに思い出もなく。大学を歩きながらふっと思い出したビジュアルは、大学の合格発表のシーン。在学中すっ飛ばして、合格発表にまで遡ってしまう当たりが、学生生活の内容の薄さを物語っているというか…(笑)。
ただ、駅からまっすぐ伸びた目抜き通りの桜並木や、緑に囲まれたロマネスク様式の校舎を見るに付け、大学やその周辺の環境が醸し出す「たおやかな空気」が秋風もあいまって心地よく、「やっぱこの大学の雰囲気はよいな」と改めて感嘆する次第。実際志望した理由の一つは、そうした雰囲気であり、大学なんてそういうシンプルで直観的な動機があるとこでよいと思う。

で、授業は「メディアと広告」について話をしました。日本のメディアビジネスは、基本広告ビジネスに依るところが大きいという事実は、ギョーカイにいないと気づかないことで、学生たちは、「そもそもテレビがなんでタダなのか」というちょー基礎的なことや、10万部以上売れている雑誌が休刊になる理由など、日常にふれているメディアのビジネス的視点の話を興味津々きいてくれました。
人に教えて初めて分かることもある、というが、こういう授業で話してみて、改めてメディアや広告が生活やコミュニケーションと密接にありながら、その仕組みや仕掛けはベールにつつまれているということを実感します。
そりゃ。そうだ。
テレビだって、何気なく見ているけど作り方をみんな知っているわけでないし、インターネットも繋いでいるだけで、wwwとかTCP/IPなんて知る必要はない。
コミュニケーションも空気や水のようなものであり、その内実をしらずに人々は生活している。

我々は、ややもすると策におぼれガチである。
しかけや仕組みに終始し、対話する相手をシステムの一部のようにみてしまうことがある。コミュニケーションが、もっとシンプルで感覚的なものであり、饒舌なリクツを並べただけでコミュニケーションをコントロールするには限界がある。

一方、コミュニケーションを考えることの醍醐味は、考えている自分自身も当事者であり、「自分がこの広告に接したら、どうする?」といった想像力が発想の起点になるということ。日々の生活が仕事のアイデアの糧になること。そんな、あたりまえで、ゆえに、見失いがちなことを改めて気づかせてくれたという意味で、機会を与えてくださった方に感謝です。


余談。
広告のゼミは人気があるらしいんだけど、「なんで?」って学生に聞いたら、「やっぱ高給だからじゃないっすか?」といってました。
むー。とおもって、広告業界を取り巻く現実的な問題を分かりやすく説明したら、(今後広告業界やマスコミが高給でいられるかは極めて不透明だよ、みたいな話)、結構学生たち絶句してた。ちょっと煽りすぎたかな(笑)。それでもこのギョーカイは楽しいことがたくさんありますよ。


| 仕事について思うこと | 15:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

「横道世之介」吉田修一

吉田 修一
毎日新聞社
¥ 1,680
(2009-09-16)

ひさびさに吉田修一読みました。

やっぱり彼は「フツーの人」のフツーの日常をベースにした小説がすばらしくよい。

「悪人」以来の新聞小説で、前作とはまた違ったトーン&マナーの中で吉田流の人物描写を堪能できる佳作だと思います。

長崎から東京の大学に進学した横道世之介の一年間が物語の中心。舞台は、20年前のバブル期なので、まさに作者が学生として生きた時代や時間が色濃く反映された世界観です。で、その1年間に世之介が出会う同級生や他大学の女の子、ちょっと年上のお姉さんといった、人物たちとの、ほんと誰にでもある交流が、ひとつひとつの小さな物語を作っていっている。ということに、読みにつれ、気づいていきます。学生時代の一年間の出会いや出来事を順列で追っていく途中途中に、出会った登場人物たちの「20年後=現在」の姿がインサートされていくんです。

その学生時代に出会って、出来事があって、そして時間が進んでいく流れと、一見関係なさそうで実はつながっている20年後のストーリーの綯い交ぜの妙が読んでいて小気味よいし、また、そうした時間の経過を感じるにあたって、「人の出会い」とか「関わり」の大きさを気づかせてくれます。

たとえば入学式に出会った同級生の男女は、あることをきっかけに世之介との交流が出会ってから半年くらいで、希薄になっていく。20年後、その2人は世之介のことを覚えていないようで、実はふとしたきっかけに世之介の存在に触れることになる。

世之介と出会い恋人になった女性は、彼との交流がきっかけで20年後の人生があることが如実に
描かれていたりもする。

最後まで読み切った上で、「出会い」や「関わり」についていろいろ考えさせられる。
かけがえのない親友になったやつもいれば、お互い大嫌いで絶縁したやつもいる。あるいは、ある期間に2、3回しか会わなかった人もいる。さらには、僕は全く覚えていないけど、その人は僕のことを激しく記憶にとどめているひともいるかもしれない。

いずれにせよ、その出会いには、どんな出会いにも価値があって、意味があって、大なり小なり現在の自分を構成するエッセンスになっていることは間違いない。それが僕という人間が生きた証であり、意義であり、意味である。生きる意味を問うたとき、生きて、他者や社会との接点が生まれた時点で、その人生には価値があり、意味があり、意義がある。
それらを善しとするか、嫌悪するかは人それぞれだけど。

こうして生きている間にも、10年前、20年前に関わりを持ったたくさんの人が、自分の見えないところで生きているわけで、それを想像するだけで生きることの大きさを感じる。

あのひと、どうしてっかなー?

とかなんとか思わされる小説です。
おすすめ。

| 鑑賞系 | 11:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

カタンの会

 ドイツのボードゲームに「カタンの開拓者たち」というのがあって、最近よく会社のメンバー誘って、やっています。

カタンの開拓者たちとは?


ボードゲームって、たまにやると楽しい。PSPとかDSのすれ違い通信も面白いんだろうけど、みんなでサイコロ降って、駒を移して、カードをやりとりして、やんややんやとゲームを進めていく。
オトナなのにムキになったり、執拗に相手を攻撃するような人間性があからさまに見える面もこぼれてきて、仕事めいっぱいやって疲れた脳みそには、わりといいリフレッシュになる。
というわけで、たまに会社のメンバーを誘い、仕事終わりにビールとピザを頼んで夜な夜なやっております。同じビルのかた、ぜひお声がけください(笑)。

とくにこのカタンはルールが秀逸です。サイコロを振って、資源を集めて、家や町をたてていくんだけど、プレーヤー同士自由に資源を交換しあったりもできるし、仲間と結託してトップのプレーヤーの建設を妨害していったりとか。中盤以降開発に差がついてしまっても、チャンスカード的なルールがあって、そこで一気にポイントを挽回できるとか。約2時間くらいかかるゲームの結末に向かって参加者全員がなんらかしら楽しみ続けることができるようになっている。

遠隔の通信とは違って、みんな顔が見えるので、(ゲーム上の)卑怯な手口も、悲喜こもごものリアクションもその場で周りにさらされるので、ある種の社会性というかオトナの秩序の中で感情が中和されていく。だからこそ思い切った行動にも出られるし、ある種リアルコミュニケーションにおける「駆け引き」の練習にもなる。

よく「ネット弁慶」って言われるけど、ネット上のコミュニケーションでは攻撃的だったり、リーダーシップがあったりするひとが、いざ、オフラインの場になると、まったく打ち合わせを仕切れなかったり、適切な発言ができなかったりする。よく言われる現象ではあるが、現状のビジネスが、まだ対面形式のコミュニケーションが主流である以上、オフラインでの人間力は、若い世代であっても養わなければならないモノであろう。

そういう意味では、ボードゲーム的な遊びとか、小さい頃の缶蹴りのような集団での遊びの機会は、そうした素養を養うのには重要な機会だったんだなあと思う。

ゲームもインターネットも否定はしないけど、自分の子供ができたら、やっぱり缶蹴りとか鬼ごっことか、ボードゲームをやらせるべしと思った。

撮影lO_olx_xlo_Olさん
| 週末日記 | 15:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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